仕事は自ら創り出すもので与えらるものではない。
「記事目次」
❶アポ無し飛び込み演奏!
❷ストリートライブより稼げる!
❸30年経っても未だに稼げる
❹今でも893は縄張りを仕切っている!
❺まとめ
アポ無し飛び込み演奏!
このストーリーは「仕事は自ら創り出すもので与えられるものではない…」の格言を元に思いついた企画の一つである…。
これは東京大森の通称地獄谷と言われる昭和の雰囲気が色濃く残っている飲み屋街である。
こういった小さな飲み屋に飛び込みで津軽三味線を演奏する、いわゆるギター流しと似たようなものである…。
然し、ギター流しと違うのは自分の場合投げ銭が前提である。
演奏を聞いて貰って気に入らなければ一銭も要りませんというスタンスだ。何せ津軽三味線流しなんて昔の津軽以外には前例が無いので先ずは断られるのが常である。地元津軽でさえ現代ではそんな風俗は無い!
この企画は、著名歌手の専属伴奏をやっていた三味線仲間が不景気の煽りを受けて仕事が激減した事で相談を受け思いついた企画である。
普段は熱海やシティーホテルでのイベントが主でお店単位の三味線演奏など考えもしなかった事だった。で、「投げ銭で聞けるプロの三味線演奏!」という触れ込みでフライヤーをコピーして先ずは川崎近辺のスナックへ飛び込み演奏を実践してみた!
1992年頃はスナックや居酒屋にもお客は沢山いて津軽三味線を舞台でなく目の前で演奏する事に驚き感動してくれてチップがバンバン上がったものである。
僅か3時間~4時間で5万~6万とざらに収入を上げる事が出来たのた。これには驚きであった。また店に飲みにきていた町内会会長とかライオンズ会長とかからも仕事もそれが縁で沢山舞い込んできたのだ!
ストリートライブより稼げる!
ギターでも三味線でもストリートライブでは小銭が中心でお札が入るのはめったに無いと言ってもいい。私も規制がかかる前までは新宿アルタ前、新橋SL前広場、上野公園などでもやった事がある。
然し、飲食街での演奏ではその殆どが¥1.000、¥5.000、¥10.000で逆に小銭のチップは若い年齢の人達がくれる程度でお札が中心なのである。
津軽三味線の若手演奏家もストリートでやっている人達は数多くいるがお店に飛び込んでやれる人間は皆無!といってもいいくらいなのだ。
何故なら、演奏技術はあっても喋りの技術がない。ストリートでやるのも度胸は要るが人との対面での話は無いのである意味気楽なのだ。
ところが突撃の場合は例えば100件お店の扉を開けて断らるのは95件で残りの5件がヒットするくらいの成功率だからだ。精神的にめげない根性が要る!(笑)
そういう意味では自分の根性を鍛えるにはいい機会である!
またテンションを高く持っていける性格も必要だ! 例えば、銀座のあるクラブに飛び込んだ時はお客は店内満タンでホステスの若い女の子も10名くらいいた。
多分、若い奏者であったらその雰囲気に圧倒されて直ぐに扉を閉めて退散するだろう…。そんな時、出来るだけ多きな声であの「タモリの笑っていいとも!」の様なテンションで、“皆さんこんばんわ~!!元気ですか~~!” とお笑い芸人のノリで行かないと負けてしまうのだ。
なにせ、アポ無しでいきなり見ず知らずの者が飛び込みで俺の三味線を聞いてくれ!…と言うのだからよほど自分もテンションを上げていかなければ雰囲気にのみ込まれてしまう。
”皆さま!突然のお邪魔で大変恐縮です!これから津軽三味線の生演奏をお届けしますが、何処の誰べえが入ってきたのか?演奏する前に自己紹介を簡単に申し上げたいと思います。一応、テレビ番組でもあの〇〇三郎のバック演奏もやってきました私が日本でかの有名な!栗原隆次で御座います!” (一瞬シーン…遅れて拍手がある…)
とこんな感じで間を空けず少し笑いもとりながらエンタメとして展開していくのだ。
だから津軽三味線の演奏がうまくてもそれだけではお店に飛び込んでお金を貰う事は出来ない。また自分の場合はカラオケに合わせて三味線をのっけていく事も出来るのでそれも大きなポイントなのである。
まじめな演奏は「津軽じょんから」「津軽よされ節」の2曲ほどやればそれで十分であとはカラオケ演歌に三味線をかぶせていくとこれでチップがバンバン上がるのだ。
この津軽三味線・突撃ライブは正調の津軽三味線を聞かせるライブ!ではない…。一般大衆を相手にしたエンターテイメントなのである。だから三味線ミュージシャンでなくエンターテイナーとしてのスキルが必要だ。
この辺りがコンサートライブとは違って一般大衆を相手にした場合、津軽の5大民謡をながながと聞かせても意味がない!それは「じょんから節」以降、あいや節、よされ節をやっても同じ様にしか聞こえないからだ。
一般大衆にとって身近に感じるのは自分が歌うカラオケ曲に本物の三味線が加わる所に感動を与える事ができるのだ。そこに津軽三味線としての演奏価値が生まれる。
突撃ライブで稼ぐには「確かな演奏技術」「度胸」「喋りの技術」の3拍子が必要である。それさえあれば日本全国三味線一本で稼げる!但し、雨に降られると完全に駄目である。だから三味線流し殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の三日も降ればいい…という事になる。
30年経っても未だに稼げる
2024年現在でもこの三味線突撃ライブは未だに稼ぐ事が出来る!但し、20年前と比べたら店にお客が来ていない。コロナの影響もあったり不景気の波で家で飲む事が多くなったのかも知れない…。それでもお客さえ居れば未だに小遣い稼ぎは出来ている。昨日も綱島の馴染みの店などで5人のお客で1万円を稼いだし、居酒屋でも¥3.000と合計¥13.000を2時間ほどで稼ぐ事が出来た。
これは会社勤めしている人が1日8時間勤務して貰える給料以上の収入を1~2時間で稼いでいる。もっとも毎日という訳にはいかないがそれでも夜の8時~12時まで4時間ほど頑張れば必ず1万は稼げるものだ。
こういうレトロな飲食街は未だにあちこちに残っている。新宿ゴールデン街、大森地獄谷、横須賀中央、四谷荒木町など数多くのネオン看板を見ると私にはお金が落ちているのと同じに見える。(笑)
昔はこういう密集した飲食街は戦後、赤線、青線、ちょんの間の類の名残りで今は飲み屋に様変わりしたものだ。だから地元の893(やくざ)が縄張りを仕切っていて三味線流しでも気楽には出来なかった。893は各店からみかじめ料を取っていたので常に目を光らせている…。
でも今は警察の暴対法が出来て893も店からみかじめ料を取れなくなり江戸時代からある風習も取り締まりがきつくなってしまったのだ。
今でも893は縄張りを仕切っている!
然し、かといって893の縄張りが無くなってしまった訳ではなく未だに存在はしている。ただ、私の三味線流し程度の事で脅される事は殆んど無い。
私はハイエースの車を持っていたので荷台スペースに折りたたみベッドを載せて車中泊が出来る様にして日本全国の半分、名古屋から青森まで突撃ライブを敢行したのだ。丸で囲んである所が全部突撃ライブを敢行した地域である。
出来れば生涯の内で九州、四国まで全国制覇してみたいものである。こうして全国の花街・飲食街を廻ってみると各地で893の人達とは出会った。然し脅される事は一度も無かった。それよりもちゃんとチップを出してくれたものである。
新潟での突撃の帰りに群馬県高崎にあるレトロ感一杯の飲み屋街「柳川町」を三味線で流してみた。あるお店に入った時に白髪で藍染の作務衣を着たお爺さんが一人座っていた…。
”今晩は、津軽三味線で流しをやっています。投げ銭でやりますので良かったら聞いて下さい‷ と声をかけた。
”ほほう、面白い奴が入って来たな” と言って三味線を聞いてくれた。最初このお爺さんを見た時に一瞬で普通のそこら辺に居るお爺さんとは明らかに違う雰囲気を感じとった。
演奏が終わるとお爺さんは、昔、あの安藤昇と兄弟分である事を話ししてくれた。安藤昇と言えば渋谷でならした愚連隊ヤクザであり映画俳優でもあった有名な人だ。しばらくするとギター流しの親分と言う人が戻ってきて私を紹介してくれた。
この人はギター流しの元締めの大親分でお前が全国まわるのなら俺の名前を出していい…とまで言われたがそんな名前を出したら大変だ。取り敢えず有難う御座いますと言って¥5.000貰って外に出た。
実はこんな風に昔、花街だった飲み屋街は必ず893が絡んでいるのだ。これもかれこれ15年くらい前の話だが2~3年前に東京蒲田でやった時は他の店から通報があった様で演奏が終わって店の外に出たら韓国系の893が外で待っていた。今日はこのお店から呼ばれて演奏に来たと嘘を言って難を逃れた事もあった。ま、世の中、金を稼ぐのは容易ではないが面白い人生だと言えば面白い。
まとめ
芸を身につける事はある意味、自分自身を改革していくことが出来る!という事である。何故なら自分の場合、20代半ばまで人見知りで臆病者の性格だったからだ。それが芸を身につけたお陰で180度性格や生き方を変える事が出来たからである。
元来、自分は恥ずかしがり屋だと思っていても、芸事を始める…という事は自分を目立せたい!という願望が心の奥底にあるからだ。
よくよく考えてみれば、人目なんて何一つ気にする必要はなく自分が思ってるほど人は自分の事に関心なんて無いのだ!人目を気にして臆病になったりする必要はない。
人生、何事もやらないで後悔するよりやれる事をやるだけやって駄目な時は反省すればいい…。