昭和レトロなスポット大森山王小路・歴史の玉ノ井
「記事目次」
❶昭和レトロの残り香―大森山王小路・地獄谷
❷すっかり消えてしまった向島の玉ノ井の記憶
❸飲んで語って昭和に戻るー大森山王小路の魅力
大森山王小路・地獄谷
昭和の雰囲気を感じさせる「山王小路飲食店街(通称:地獄谷)」も「大森駅西口広場」の整備エリアに含まれている。再開発によって、いずれこの地獄谷の飲み屋街も消えていく運命にあるのだろう。
ここは大森駅西口の池上通り商店街の切れ目に階段があり気が付かないと通り過ぎてしまう。戦後の昔はかなり酔った客がこの急な土手や階段を上がれないところから地獄谷と呼ばれる様になったそうだ。
この西口も再開発が進んでやがてはこのレトロな飲み屋街は姿を消す事になるだろう…。興味のある方はやがて消えてしまう前に一度訪ねてみるといい。
飲んで語って昭和に戻るー大森山王小路の魅力
この地獄谷の数ある飲み屋で私の突撃ライブを受け入れてくれたのはこのカウンターだけのお店で「松喜」という店だ。この店以外は何度訪ねても受け入れてくれずここのママだけが一番人情味のある人柄のママさんだった。
こういう風にママさんが三味線などに興味のある人だと、不思議にそういうお客さんが集まるのだ。地獄谷に訪れたら是非ともこの松喜(まつき)ママのお店に行ってみて下さい。電話頂ければ三味線持って無料で弾きに行きます。090-3478-9465まで
向島の玉ノ井の記憶・永井荷風・墨東奇譚(ぼくとうきだん)
私が25年くらい前にこの突撃ライブをやり始めた頃に東京向島にある、あの永井荷風の墨東奇譚に出てくる玉ノ井に行った事がある。作品墨東奇談では戦前の様子を荷風が描いていてその名残は昭和38年以降までは飲み屋街として残っていたと思う。バイクで20年前に廻った時はそんな風情はもうなかった。
「玉ノ井という街があった」の写真は本の表紙から引用したものです。永井荷風がこの色町に通ったのは昭和11年頃の話なので戦前で11年というと丁度二・二六事件が起きた年だ。
この通りが昔、玉ノ井の色町があった所で上写真が現風景だ。現在の姿で写真右側にある一般住宅が写っているのが昔、玉ノ井館という寄席が合った様で浪曲などの演芸場があった場所の様である。
右側ボールの一番奥の所を曲がると細道の奥に小さな稲荷があり永井荷風が記録した当時の玉ノ井の地図が看板に残されている。その地図を見れば昭和11年の88年前にタイムスリップ出来るかも知れない。
もう全く昔の風情などはなく時代の流れである。しかし面影はないものの、かつてこの場所に様々な人間ドラマがあった事は事実でそんなロマンを感じながら現地へ行ってそんな路地裏を探索するのも面白いだろう…。
訪ねる前にamazonのプライム会員であれば以下の映画「墨東奇譚」をあなたのパソコンで¥400で視聴出来る。私も既にこの映画を見たがこれで永井荷風や玉ノ井の歴史を知る事が出来た。
こういう事前情報を得て行くと映画の中のシーンが記憶にあると無いとではイメージ力が違ってくるので是非とも文庫本を読むなり映画を見るなりして訪ねてみるとより人生が面白く出来るものと思います。
主演俳優の津川雅彦も今は亡く時代は更に遠のきつつある…。若い年代の時はその時代の価値に気づかないものであるが、年齢を重ねていくと過去の時代が良かった事に気づき始める。自分の若い時代は写真に興味は無く今にして思えばもっと記録に残しておけば良かったかな…と思う事がある。
現代は特別な一眼デジカメが無くてもスマホで撮れる。思いついたらばんばん記録に残しておこう!
こういったレトロな雰囲気のお店で突撃ライブをやるのも面白いし出会うお客さんとの話も面白い。実はこういった三味線流しは津軽三味線では日本で私がただ一人だけである。江戸時代から新内流しは実在したが津軽三味線で流しをやれる者はいない。
新内流しは切々とした哀調を特徴とし、心中物を中心に唄も三味線も泣くように語り弾き、江戸庶民の語り物としてたいへん親しまれた様である。私が初めて新橋の飲み屋街に突撃ラブを敢行した時にはまだこの新内流しをやっていたお爺さんがいるのを初めて見た事があった。然し、しばらくする内にその姿は見る事が無くなった…。そんな昔ながらの風俗もまた一つ消えていった事になる。
また新内流しでは私の様に飛び込みは一切やらず店の女将さんが三味線の音を聞いて呼び込むスタイルである。時代とともにそんな粋な客もいなくなりカラオケが中心の世の中になっていくのである。
こんな私の突撃ライブ”!は実はある苦肉の策?から思いついた企画なのである…。
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