ドローン登場で時代が変わる

芸能

モーターパラグライダでビジネスが出来た時代

「記事目次」

❶突然の海外からのメール
❷日本で初めてPPGの夜間飛行を行った男
❸テレビ番組「嵐の実験君」の番組出演
❹お台場レインボーブリッジの下を飛ぶ!
❺番組「芸人魂ガチレース」で江の島空撮
❻ドローンの登場でPPGの空撮は終わりを告げる

私がモーターパラの輸入販売を始めて早速に自分でアドベンチャージャパンのホームページを自分で作り英語バージョンのホームページも日本語版と同時に立ち上げた。

ある時、メールボックスを見てたら英文メールが舞い込んでいて宛先をみるとなんとイラクのバグダットからのメールだった。一時、え~!っとびっくりした。差出人はデービッド・ジュエルという福生市にある横田空軍基地所属の軍人からだった。

この縁もゆかりもないアメリカ人からの突然のメールにはびっくりしたがメールを読んで見るとエンジンユニットを中古で購入したがそれを誰かに売りたいので紹介して欲しいと言う内容だった。

近いうちに横田基地に戻るので一度会いたいという事で帰国メールを貰って早速に横田基地に面会しに本人と会った。それが縁で彼とは3年後にアメリカへ帰国するまでのあいだ一緒にモーターパラを楽しむ友人になったのである。縁とは不思議なものだ。どこでどう世界の人と繋がるか分からないものだ。

英語版のホームページを持つと本当に世界と通じるものだ。ある時、イギリスのある広告代理店からもメールが飛び込んできた。

東京新木場にある若者向けのクラブがあり、新規に発売するタバコブランドの宣伝飛行を夜間にやって欲しいという依頼だった。

この有名なクラブアゲハ・スタジオコーストも2021年にクローズしてしまった様である。しかし夜間にエンジンパラグライダーを使って夜間飛行をする事は前代未聞の事で日本で誰もこのエンジンパラグライダーで夜の東京上空を飛行した者など誰もいない。

クラブアゲハ

早速に新木場にある湾岸警察署と東京へリポートへ赴きフライトの申請をしに行く。許可は双方とも出せないので夜間に飛びます!という申請をするだけである。各役所への手続きが済んでフライトの準備をする。

湾岸警察署
東京へリポート

この企画を実施するに当たって横田基地の友人であるデービットを助っ人に頼んだのだ。彼はSEREというアメリカ軍の特殊プログラムを指導するインストラクターだった。アメリカ軍には「SERE(サバイバル、エスケープ、レジスタンス、エベイジョン)」という訓練プログラムがあり捕虜や危険な状況に巻き込まれた際に生還するための訓練を提供するプログラムのことだ。まさに打ってつけの私にとっての助っ人である…。

なにせ、新木場の運河沿いを飛ぶので万一の着水事故に備えて彼を日当1万円で雇ったのだ。それと夜間に彼を乗っけて私の飛行を追いかけてくれるボート要員の人もチャーターした。

通常、パラグライダーは趣味の範疇で楽しむのが前提であるが私の場合は仕事としてこれを活かしていた。まだ、この他にも山形の棚田をBSの番組で空撮をやったり、嵐の実験君の番組にも「プロペラおじさん」という事でレゴブロックの船で荒川から東京湾まで行けるか?という企画でテレビに出た。

この企画はテレビ関係ではないがとある企画の事前調査撮影という事で湾岸警察、消防庁、東京へリポートなどへ事前飛行申請して一応の許可を取りフライトした映像だ。

この番組ではヘリでの撮影が考えられる内容だがあまりにも低空で撮影するのと予算的な事も絡んでかエンジンパラグライダーを使用しての撮影依頼だった。

逗子海岸からバナナボートに乗り込んだお笑いタレント、バナナマン日村、HGラモンなどをボートで引っ張り江の島へ着くまでの間に振り落とす企画だが最後まで落ちなかった者が優勝するという内容だ。

逗子海岸に陣を取り撮影準備にかかる私。HDカメラを腹に固定して撮影する。海面すれすれまで降下しバナナボートを追いかける。

低空で撮影を開始する
実際に腹に抱えたカメラで撮影したシーン

この時も仲間のジェットスキーをチャーターして並走して貰い万一自分が着水した場合救助して貰う為だ。安全には充分注意を払っての空撮である。

こうして私の場合は当初趣味で始めたエンジンパラグライダーだったがいつのまにかそれがビジネスとして発展し一時音楽業界から離れてしまった時代が13年間あった。

然し、これはこれで自分にとっては空を自在に飛ぶ!という子供の頃からの夢は実現したしそれが仕事としても技術が実り世界の人達と繋がる事が出来たのである。

機材の輸入ビジネスとしてその交渉の為にフランス、イギリス、チェコ、ドイツ、アメリカ、中国へと行く事になる。多分、モーターパラをやっていなかったらこれほど海外に出かけるチャンスを掴む事はおそらく無かったであろうと思う。果敢になんでも挑戦して良かったと思っている。

然し、このビジネスもやがてドローンの登場によってパラで空撮する必要がなくなりそれと同時に自分の母親の介護生活にも突入する事になる…。

こうして一時期、芸能活動から13年間も離れていたが介護生活から3年ほどで母親は亡くなり92歳で天寿を全うした。自由の身になりその後コロナが始まりまた昔のドライバー生活に逆戻り。やがてコロナも終息し結局自分に残されているものは音楽しかないので昔の芸能企画の事務所を復活させる事になる。